昨日の情熱大陸で、ノマドワーカーという会社に属さず自由に仕事をするスタイルを実践している人が特集されていた。その人は、大手出版社で入社したものの、その後、うつ病を経験し、今のスタイルを選んだそうな。
ノマドとは、遊牧民の意味。
場所を転々としながら、仕事をするスタイルの事を言うそうで、何かのプロジェクトが始まったら集まり、それが終わったら解散。また、新しいプロジェクトが始める場合に、有志のメンバーで集まって仕事をするというように、会社という枠に納まらずに仕事をする事らしい。
ノマドワーカーと言うのは、結局は、フリーランスなんだなという事はわかるけど、そもそも、肩書きを持たない仕事スタイルという事を言っているのに、自分の事をノマドワーカーと言っているのは、肩書きに縛られているようにも感じた。
本当に肩書きに縛られたくないのであれば、自分がどんな働き方をしているという事すら気に留めず、限りなく自由に働ける方法を模索している一人の人間という風に、自分を客観視するのではないだろうか。
また、肩書き云々と同じように、集まって仕事をするというのも、やっている事は会社のプロジェクトと同じ。違うのは、それが会社という組織に属しているのか違うのかという事。
番組を見ていて、ストレートに感じたのは、彼女と全く同じ方法で仕事を行っても、オファーがかかるのは限られている一部の人間。ある程度のルックスとトーク力があってこそ、成り立っているようにも感じた。
他にも、ツイッターを利用していたり、そこから、仕事のオファーが来たりするという事も多く、結局は、人との繋がりが無いと成り立たないというのも感じた。
彼女自身が、そういう人との新しい出会いを楽しみにしていて、講演活動やプロジェクトも積極的に参加しているというようだったので、それはそれで良い事だとは思うけど、フリーランスで仕事をしている人の多くはそうやって繋がっていく事に抵抗を感じないのだろうか。
少なくても、私は、人脈作りに時間を浪費する事で、仕事の時間が減らされることの方が抵抗を感じてしまう。
むしろ、そういう人脈を持たなくても成り立つ仕事を第一に探す。
それこそが、本当の意味で自由に働ける事を実現できると思う。肩書きを必要としない。自由でありたいという気持ちは、社会に当たり前のように存在する固定観念に対する憤りから来るものだったりする事がある。
それであれば、まずは、社会との繋がりが限定されていても稼げる方法を探す。それこそが、憤りを解消する唯一の方法なのではないだろうか。
まあ、極論を言うと人それぞれ。
それに、フリーランスはこういうものだという考え自体が、一種の固定観念に成りかねない。昨日の情熱大陸を見ていて、何となくそんな憤りに近い感情を抱いてしまった。